こんにちわ、カガヤです
大人たちはよく、「将来の夢はなにー?」と子どもに聞きますが、見つけるのも叶えるのも、夢というのは難しいですよね。
年齢による移り変わりは勿論のこと、挫折や諦めといった大きな壁もあります。けれど粘り強く、辛抱強く追いかけていれば、思い描いていた形とは違ったものの、それを叶えることだってできるのではないでしょうか!
今回は実例である「ぺこぱ」でお馴染み、松陰寺太勇さんについて、お届けしたいと思います。
デビュー前はプロのバンドマンを目指していたという松陰寺太勇さん。なぜ、お笑い芸人となったのでしょうか?
管理人の意見や感想も交えつつ書いていきたいと思いますので、同じような疑問を抱いた方は是非、最後までご覧下さい!
松陰寺太勇
松陰寺太勇とは
日本のお笑い芸人。シンガーソングライター。所属はサンミュージックプラダクション。
ロックバンドorホステスのような派手目な化粧が大きな特徴であり、「俺」を「フォレ」と言い換えるなど、言語的特徴もアリ。
本名は松井勇太。芸名である松陰寺太勇はドラマ「花より男子」の登場キャラ、「道明寺司」をリスペクトのうえもじったもの。
個人的には派手目な外見や言葉遣いよりも、動作とリアクションの五月蠅さの方に目がいってしまった記憶があります。やたらめったら上半身がうるさかった気がするんですよね
なぜ、お笑い芸人になったのか
デビュー前はバンドマン
松陰寺太勇さんは元々、プロのミュージシャンを夢見ていました。
高校時代にはコピーバンドとして活動し、将来のためバンドマンとしての経験を積みます。大学は音楽関係を専門とした大学に入学し、卒業後はプロのミュージシャンを目指して上京。
ネットに出されていたメンバー募集を通じてバンドマン数人と関わりを持ち、スタジオで複数回活動する。その結果、全員が自分よりもずっと高いレベルにいると実感し、自分ではダメだ。レベル的についていけないと考え挫折。プロのミュージシャンになる、という夢を諦めます。
専門の大学に行く程ですから、松陰寺さんは本気で夢を叶えようとしていたんですね。その結果がどうであれ、夢に向かって進むことは尊敬されるべきことだと思います
専門に通っていた時の成績については不明ですが、松陰寺さんは裏方の音響を中心に学んでいたようです。ですから恐らく、将来的には作成する側として生計を立てていきたかったのかもしれません。
ただ少し不思議なのは「自分ではダメだ」「このレベルにはついていけない」といった理由で、松陰寺さんが挫折したことです。
もちろん、井の中の蛙大海を知らず、といった言葉があるように、外に出てみたら自分一人だけ周りより劣っていた。なんてケースはごろごろ転がっていると思います。当時の松陰寺さんもまさにコレそのものだったようですが、もっと上を目指そうとは思わなかったのでしょうか。ゲームでいう所のレベル上げですね。
自分一人だけ劣っている、という現実に大きなショックを受ける気持ちはわかりますが、それだけの理由で諦めてしまうのは、なんだか勿体なく感じます。もしかしたら松陰寺さん自身、「自分ならプロのミュージシャンになれる!」と。そんな根拠の無い自信を持っていたのかもしれません。
根拠の無い自信って案外、本人にとって馬鹿に出来ない影響を持っているものです。それが黒歴史になるか否かは本人次第だとして、行動の原動力・アクセルになることは間違いありません。だからこそ、持っていた自信が壊れた時、凄まじいブレーキがかかるんですね
挫折からお笑い芸人へ
プロのミュージシャンになる!という夢を挫折によって諦めた松陰寺太勇さん。そんな時、当時人気を博していたお笑い番組「エンタの神様」を観て、「ミュージシャンじゃなくても舞台に立てる」「舞台に立つ方法はミュージシャン以外にもある」と奮起し、芸人として再始動します。
といっても育成所なんかには通わなかったそうなので、人気と知名度はドン底と言って良いレベルだったようです
こうしてみると松陰寺さんの夢は「ミュージシャン」ではなく「舞台に立つこと」だったのではないか?そんな風にも思えてきますね。
好きな音楽を扱う職業かつ、舞台に立てる仕事=ミュージシャン、といった考えをしていたのか。それとも挫折を経験し、「舞台に立つ」といった目的を中心に選り好みをしなくなったのか。真相は分かりませんが、松陰寺さんを襲った挫折が大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。
アルバイトで糊をしのぎつつ、ピン芸人として月に一度活動する。そんな生活が続いたある日、アルバイト先に後輩としてシュウペイさん(現「ペコパ」の相方)が参入。アルバイト仲間として関わる内に「こいつとならいけるかもしれない!」と考えるようになり、シュウペイさんに惚れ込みます。
その後、松陰寺さんはシュウペイさんを口説き落とし、「ぺこぱ」の前身「先輩×後輩」を結成。お笑い芸人松陰寺太勇として舞台に立ち、シンガーソングライターとしても活躍しています。
ミュージシャンとしてではなくお笑い芸人として。形は少し違いますが、「舞台に立つ」という夢を見事叶えたわけですね
まとめ
- 松陰寺太勇はお笑い芸人かつ、シンガーソングライター
- 元々の夢はプロのミュージシャン
- 高校時代はコピーバンド。大学は音楽関係の専門大学
- 卒業後、募集を通じてバンドマン数名と関わりを持つも、自分のレベルではついていけないと実感し挫折。ミュージシャンの夢を諦める
- 「エンタの神様」を切っ掛けに「舞台に立つ方法はミュージシャンだけではない」と気が付き、芸人として再始動
- アルバイト先でシュウペイと出会い、コンビを結成。現在へ至る
松陰寺太勇のデビュー前はバンドマン!なぜ、お笑い芸人になったのか。という疑問について書いていきましたが、いかがだったでしょうか!
挫折からの再始動。芸人として舞台に立つ!という、「プロのミュージシャンになる!」といった当初の夢とは異なる手段で松陰寺さんは夢を実現させました。
元々の夢は「ミュージシャン」ではなく「舞台」に立つことだったんじゃないの?と思わない気持ちが無いわけではありませんが、実際松陰寺さんはお笑いという舞台に立ち、シンガーソングライターとして音楽関係の仕事にも励んでいます。
少しいい加減ガバガバな気もしますが、一度目の挫折を経験した後、また立ち上がった所は本当にすごいですよね。
有名になった頃と比べてメディアへの露出は減りましたが、せっかく叶えた夢。是非とも、これからも全力で取り組んでいってほしいです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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